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 先日(7/30)、信じられないニュースが飛び込んできた。僕がそれを知ったのは、Twitterに書き込まれたノラオンナさんのひとことでだった。

 シンガー・ソングライターのbiceが、7/26に心筋梗塞のため亡くなられた。まだ30代後半という若さだった。僕はすぐに、ノーナ・リーヴスの西寺郷太君に電話して、話を聞いた。郷太君からは、とても彼女らしい、面白いエピソードを教えてもらった。彼はその辺りの事をその後Twitterに書き込んでおられたので、供養のつもりで読んで頂ければ、彼女の人となりの一部でも分かるかと思う。

 色々なことが頭の中に浮かんでは消える。初めて会ったのは、いつ頃だったのだろう?

 僕が自分の事務所を立ち上げたのが1999年10月で、その月から『Groovin'』の発行が始まった。そして2001年10月25日号から2002年9月25号までの1年間、12回に渡ってbiceに連載を書いてもらった。確か、その連載がスタートするときの直前に、どこかのライヴ会場でお会いして打ち合わせしたのが最初だったような気がする。ということは、恐らく2001年の8月頃か?

 何でbiceに連載をお願いしたのか、今更ながら思い出してみた。

 まず初めて会うその直前の2001年5月にリリースされたシングル『an apple a day』と7月リリースの1stフル・アルバム『Nectar』が素晴らしかったこと。それから当時biceの宣伝を担当していた徳間ジャパンのMさんとは旧知の仲だった(以前、僕が所属していたレコード会社の系列の音楽出版社に彼はいたので、それで昔から知っていた)こと、それ以前に『Groovin'』の連載を同じく徳間に所属していた青山陽一さんにお願いしていたこともあって、青山さんの担当だったOさん達とも親しかったため、しょっちゅう徳間に出入りしていたこと、biceのインディーズ時代の作品をリリースしていたアンダーフラワーというレーベルには、当時ノーナ・リーヴスが所属していて、僕はちょうど『Groovin'』を創刊する直前にノーナ・リーヴスと親しくなったので、当然biceも担当していたアンダーフラワーのYさんやOさんを知っていたこと、そういったいくつもの要素が重なって、恐らく連載の件を思いついて持ちかけた気がする。そう言えば、吉祥寺のアンダーフラワーの事務所に行って、Yさんからbiceのカヴァー・アルバム『Covers』(2000年6月リリース)を頂いて、そのマニアックな選曲と出来の良さに驚いたのをよく覚えている。

 そんなことで、『Groovin'』での連載「bice 苺畑でつかまえて」が始まった。毎回、彼女が書いた原稿を、確か僕とマネージャーさんに同送していた気がする。読むのが楽しかった。文章はその人のキャラクターを反映するものだと思うが、彼女の文章はまさに彼女そのものだった。彼女が取り上げる話題は、夢の中に出てきた蛇の話から、ニューヨークやラスヴェガスに行ったときのこと、レコーディングやライヴのことなどヴァラエティに富んでいて、彼女のイメージ通りちょっとつかみ所のない感じもしたのだが、今読み返してみるとことのほか映画の話題が多いことに気づく。例えば第6回の連載では安部公房原作の『砂の女』を見たことが、第8回ではダイアン・キートンが好きで『ミスターグッドバーを探して』を観たという話が、第11回ではゴダールの『パッション』をレイトショーで見た話が、最終回でもローマン・コッポラの『CQ』を採り上げていた。それに毎回この連載では、お薦めのアルバムを1枚紹介するのが決まり事だったのだが、biceは海外のインディーズものを好んで紹介していた。

 毎回連載のやりとりをさせて頂いたり、あるいはライヴを見た時にバックステージでお会いしたり、そんな中で僕が抱いた印象は、ジャケットの中に佇む彼女のイメージとあまり温度差はなかった。すごくフランクにべらべら喋るときもあれば、独特の空気感を漂わせているときもあったり、すごく面白い独自の世界観を持っている人だった。

 そうだ、思い出した!1stフル・アルバム『Nectar』(2001年7月4日リリース)は、すごく僕にとっては豪華なメンバーが参加していて、ノーナ・リーヴスの小松茂君&奥田健介君、コレクターズの小里誠さん、ニール&イライザの堀江博久さん、元ブリッジの清水弘貴君とカジヒデキ君、そして作詞で松本隆さんが「嵐が丘」で、ということで、それで前述の徳間のMさんが絶対に僕が気に入ると思ってプッシュしてくれたんだった。松本隆さんとbiceのコンビは、マキシ・シングルにもなった「Cloudy sky」と、2ndアルバム『let love be your destiny』に「Cloudy sky」と共に収録された「包んであげる」もあって、どれも素敵な作品だった。当時は松本さんがすごくbiceの声と存在感、佇まいが好きで、気に入っている、なんていうことを松本さんご本人から直接お聞きした覚えもある。

 今頃になって気づいたのだが、彼女の公式HPのディスコグラフィーの『let love be your destiny』のところには、当時の『Groovin'』での連載用に書いてくれた文章がそのまま載せられている。

 あれはいつのことだったか? 渋谷のclub asiaで、弦楽カルテットを加えたbiceのライヴを見た。確かARCHの永田君がギターで参加していて、僕は2階席でARCHの中村大君と一緒にステージを見た記憶がある。その時の印象は今でも鮮やかに残っているほど、素晴らしいステージだった。

 それから忘れられないのが、2002年12月25日にShibuya-AXで行われた『風待クリスマス』でのbice。この時は藤井隆さん、永積タカシさんに続いて3番目に出演し、「Cloudy Sky」「包んであげる」の2曲を歌ってくれた。つい最近、ノラオンナさんに差し上げようと思って、この時の映像を見直したばかりだった。


 もう1つ思い出深いのは、2003年4月にドリームズヴィルからリリースしたコンピ『ようこそ夢街名曲堂へ!』に、biceの「XANADU」を収録した時の経緯だ。これは元々は、前述のカヴァー・アルバム『Covers』(2000年6月リリース)に収録されていたものだったが、たまたま2003年2月頃に部屋を片付けていたらこのアルバムの白盤が出てきて、久しぶりに聴き直したのがそもそもの発端だった。『Covers』はすごく良くできたカヴァー・アルバムで、一見するとbiceの声とはミスマッチそうなロックなナンバーからポップなものまで、しかもちょっとマニアックな選曲で驚かされた記憶があった。何しろ1曲目がニック・ロウの「Cruel To Be Kind」で始まり、次がビー・ジーズの「How Deep In Your Love」、3曲目がパイロットの「Bad To Me」、4曲目がコーギスの「Everybody's Got To Learn」、そしてホール&オーツの「One On One」、ラストがオリヴィア・ニュートン・ジョンとELOの「XANADU」と、この並びを見れば大体の想像はつくだろうか。しかもどれもが、意外な方向で彼女の声とマッチしていて、素晴らしいのだ。この中で僕が特に惹かれたのは、やはり「Cruel To Be Kind」とパイロットの「Bad To Me」、そして「XANADU」だった。『ようこそ夢街名曲堂へ!』というコンピは、基本的に日本のアーティストによるカヴァーを中心とした選曲、という大枠があって、長門芳郎さんと、ドリームズヴィル社長の小川さん、そして僕の3人で収録曲を持ち寄った。たまたま僕が収録をプッシュしたruralがニック・ロウ作の「(What's So Funny 'Bout)Peace, Love and Understanding」のカヴァーだったことから、それと被るニック・ロウの「Cruel To Be Kind」を外して、最終的に「XANADU」の音源を貸して欲しい、ということで、前述の吉祥寺のアンダーフラワーに出向いて、当時ここにおられたSさんと交渉して、ここに収められることになった。

 こうやって改めて考えてみると、『Groovin'』の連載の件、そして当時のアンダーフラワーやノーナ・リーヴスなどとの繋がり、徳間ジャパンのスタッフとの関わり、松本隆さんを通した繋がり、コンピの件などが絡み合って、僕はそのたびにbiceにお世話になっていたことになる。

 彼女は見かけ通り、華奢でオシャレで、それでいてどこかとらえ所のない不思議な魅力を持っていた。楽器も何でもこなす、才能に溢れた女の子だった。またどこかでライヴでも見られれば、お会いできればと思っていたので、今はそれが絶たれてしまったことが残念でならない。そして今でも、信じられない。すごく可憐な姿のまま、永遠に歳をとらない世界へと旅立ってしまった。だから僕らの記憶は、あのbiceのままだ。これからもずっと。

 サヨナラ、bice。ありがとう、bice。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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 このところ、悲しいニュースが続いている。まずロネッツの「Be My Baby」など名曲を多く書き、自らもシンガー・ソングライターとして名盤を残したエリー・グリニッジが、8/26に心臓発作のため68歳で亡くなられた。

http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=25866

http://www.rollingstone.com/rockdaily/index.php/2009/08/26/be-my-baby-songwriter-ellie-greenwich-dead-at-68/

http://www.laobserved.com/archive/2009/08/ellie_greenwich_songwrite.php

 そしてその前の8/20にキーボーディストのラリー・ネクテルも心臓発作のため69歳でこの世を去った。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/08/25/16.html

http://www.msnbc.msn.com/id/32533540/ns/entertainment-music/

 2人とも、特に1960年代前半~中期にかけてのスペクター・サウンドには、欠かすことの出来ないメンバーだった。エリーはジェフ・バリーと共に多くの名曲を書き上げ、ラリー・ネクテルはハル・ブレインやスティーヴ・ダグラスらと共にいわゆるレッキング・クルーの中核として、スペクター・サウンドには無くてはならない人だった。

 個人的なことだが、僕は60年代のソングライターの中では、キャロル・キングよりも、バリー・マンよりも、圧倒的にエリー・グリニッジ派だった。彼女の書くメロディは、僕の中では初めて耳にしたときから全く違和感がなく(それは大瀧さんの書くメロディと通底する部分があるからだと、後で気づいた)、そのため彼女の作品に対する思い入れはすごく強かった。達郎さんがバリー・マンのコレクションにおいてコンプリートを目指すように、僕は一時期、エリーの作品をコンプリートにコレクションしようと真面目に考えたこともあった。だから「ジャケガイノススメ」シリーズにおいて彼女の1stアルバム『COMPOSES, PRODUCES AND SINGS』を紙ジャケで日本初CD化できたのは、本当に嬉しかった。聴くところではこの紙ジャケ盤はご本人の元にも届けられ、喜んでおられたたとか。できれば『LET IT BE WRITTEN, LET IT BE SUNG』も紙ジャケでリイシューしたかったが、これは是非長門さんに実現をお願いしたいと思う。この『COMPOSES, PRODUCES AND SINGS』にも収録されている「I WANT YOU TO BE MY BABY」は、彼女の1stシングルで、ジョージア・ギブスやリリアン・ブリッグス、ルイ・ジョーダンなどで知られるナンバーのカヴァーだが、僕はたまたまボブ・クリュー関係の曲を集めていて出会った。何とこの曲、ボブ・クリューがプロデュースし、ハッチ・デイヴィがアレンジしているのだ。最初に聴いたのが、モッズDJ達にも大人気だというオリジナル・シングルだったので、どうしてもこのシングルのMONO MIXをリイシューの際に追加したいとEMIに懇願したところ、あっさりと原盤元のOKが出て、その結果アルバム本編STEREO+ボーナス・トラックMONOという豪華な編成になった。

 そして偉大なるキーボーディストにして、時にベーシストのラリー・ネクテル。スペクター・セッションはもちろんそうだが、ハル・ブレイン、そしてジョー・オズボーンと共に彼の名を見つけた時は、僕の場合はどんなに知らないアーティストのレコードでも迷わず買うことにしている。有名どころではやはりダンヒル系のセッション、そしてフィフス・ディメンションや自身がメンバーだったブレッド、それにビーチ・ボーイズ関係などどれも印象深いが、やはり最も有名ということになればサイモン&ガーファンクルとの一連の仕事だろう。「明日に架ける橋」のアレンジとイントロの印象的なピアノは、彼のまさに独壇場だ。先日の来日公演を武道館で見て、家に戻って『ライヴ 1969』を聴き直し、改めて彼のプレイの魅力に感心したばかりだった。

 今夜は大瀧さんの「GO! GO! NIAGARA」でかつて放送されたフィル・スペクター特集でも聴きながら、2人を個人的に追悼してみたいと思っている。

 さよならエリー、さよならラリー。
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 6月7日(現地時間)にロサンゼルスの病院で、ケニー・ランキンが亡くなられた。享年69歳。死因は肺がんによる合併症だそうだ。すでにいくつかの情報ソースにはニュースがアップされており、ご存じの方もおられるだろうが、この訃報には大きなショックを受けた。

■Rolling Stone Web Site
http://www.rollingstone.com/rockdaily/index.php/2009/06/09/singer-songwriter-kenny-rankin-dead-at-69/

 今回の報道を見ると、彼の功績はボブ・ディランの『Bringing It All Back Home』にギタリストとして参加した、あるいは「Haven't We Met?」が日本ではレア・グルーヴなどの視点で再評価された、さらに「日本でもミュージシャンをはじめ音楽通に支持者が多い」といったことが挙げられているようだが、しかし彼の魅力からしたら、これらの事柄はまさに氷山の一角。それは毎回ケンウッドスクエア・丸の内にお起こし頂いている方には、お分かり頂けることだろう。ここで彼の作品を何回ご紹介したことか。長門芳郎さんも僕も大好きなアーティストだった。

 僕は特に『THE KENNY RANKIN ALBUM』と『SILVER MORNING』の2枚が大好きだ。初めて輸入盤で手に入れたアナログの『THE KENNY RANKIN ALBUM』(確か学生時代に下北沢のフラッシュ・ディスク・ランチで安く手に入れた)に針を落とし、「Groovin'」を聴いたときの感動は、昨日のことのように覚えている。

 それから番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」を始めて2年目のこと、「アーティストからの暑中見舞い」という回があって、色々なアーティストが夢街名曲堂へ暑中見舞いのはがきを送ってくれたという設定で、コメントをもらい、それを読みながらリクエストに応えるという企画を放送したことがあったが、その時にケニー・ランキンの「Groovin'」を偶然リクエストしてくれたのが、Cymbalsの矢野博康君だった。こういうところからも僕はCymbalsに対して親近感を持つことになった。

 10年近く前のこと、当時定期的に仲間と集まっては行っていた西麻布でのDJイヴェントで、明け方近くになると「Groovin'」を廻したことをハッキリと覚えている。ちょっと眠気が襲ってくる時間帯に聴くこの曲は、最高に心地よい。

 フィル・ラモーンと共同制作していたニュー・アルバムが今後どうなるのか、果たして出るのか?は気になるところであるが、まずは彼の名作を聴いて、自分の中のケニー・ランキンにきちんとさよならを告げたいと思う。でも彼の名作は永遠。きっと気がつけばいつものようにレコード棚から出してきては、無意識に聴いているんだろう。これからも。

 ご冥福をお祈りいたします。
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